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社会学講義

【内容】
60年代のドイツ社会学界を席巻した「実証主義論争」
ポパーなど新実証主義による批判に応えつつ、フランクフルト学派「批判理論」の要諦を解きあかす、最晩年のアドルノ自身による「批判理論」入門

【内容目次】
第一講義
社会学者の職務上の展望と希望──教養学問としての社会学と社会的に有効な仕事──理性的研究計画の困難牲──大学での訓練と学問の自由──研究の不備と進歩──経験の非連続性──反・入門──団塊──コントによる社会学の非同質性、自然科学的・哲学的理想

第二講義
社会学における対立──政治に対する社会学の姿勢──真理の否認、方法論争、テクノクラシー──コント社会学の肯定的性格:静態学と動態学;マルクスによる生産力の理論──パレート:エリートの循環と歴史の循環──社会学は社会の本質における認識である;反対規定──社会学の問題領域の「悪無限」;本質への関心と「現象世界の残り物」──実践に向けて

第三講義
本質的なものへの疑問の再演──本質の概念への実証主義の態度;研究方法と委任されたものについての実証主義社会学の方向づけ;研究技術者──本質と現象の関係について──社会の客観的運動原理──階級の概念と階級意識──階級意識と協調;経験への関係──本質への関係──プラグマティズム問題:理論と実践の関係について──社会の概念

第四講義
弁証法社会学と強調さた実践;改革への態度──定義不能な社会──社会類型と社会の弁証法的概念──社会の抽象的概念に対するアルバートの批判──抽象概念の客観的基盤:交換関係:機能概念としての「社会」;所与性の実証主義的意味基準──調停

第五講義
アメリカの学生反乱へのフレデリック・ワイアットの講演──社会概念分析の続き;デュルケイムの「不浸透性」──「二階級データ」としてのデュルケイムの実体化批判──社会の弁証法的概念──個人と社会の弁証法的調停について──資本主義における拡大の動態的原理──進歩的統合としてのスペンサーによるデュナーミクの規定──統合と適応──統合と分化の歴史的弁証法──形而上学への退行?;社会の有機体的、全体的イメージに抗して──疎外

第六講義
利益対立と社会の増大する非合理性;ファシズムにおける統合と分裂──社会は形而上学的概念か?ショイヒの批判に──前批判的思考への退行?──実態と概念の調停;ドゥチュケ暗殺へのベルリンの状況;予測──溝義における事例の選択──ベルリンの学生への報道攻撃──具体的なもののイメージ──政治教育の事例──社会的経験のバラドックス;経験主義と制約された経験──制約されざる経験の理念

第七講義
社会学入門の問題点:社会学の総論と各論;社会学の歴史的発展■社会学と哲学──サン−シモンとコント──いわゆる接続−社会学;現実主義の危険──大学改革への脱線:学問の自律か「学習工場」か──抽象的一般論なき理論社会学──相対的認識の意味;民族学と人類学;「具体的全体性」

第八講義
個々の所見の総和ではない社会学;学問の概念──万能薬としての形式化?──専門化の門題点──形式化への傾向の歴史的発展(ジンメル)──形式社会学の弱点:「闘争の社会学」のモデル──いわゆる価値中立牲について──方法と主題との関係

第九講義
方法と主題の分離批判──社会学における主客の入り交じり──社会学的素材の恐ろしさ:ダルムシュタットの地域研究──方法は主題から生まれる;方法の自立;等級化──量的、質的経験のアポリア──試行的回答:「臨床的インタヴュー」:「単一領域」と「複数領域」──方法の物神化と「超越的場所」の喪失──方法の不一致:デュルケイムとマックス・ウェーバー;価値自由の問題について──教義史における方法論争──概念の手品──方法論の隘路

第十講義
方法論争の続き:方法の闘争は主題における闘争である──デュルケイムとマックス・ウェーバーによる方法と主題の関係;「コシスム」における理解不能性──マックス・ウェーバーの理解可能性の要求──社会の弁証法的理論への強制──偶然ではない方法の決断──構成──イデオロギー批判──刺激と反応──ラスウェルの「内容分析」──量的、質的要因──知的産物の分析

第十一講義
量的分析の問題点;仮説の論駁可能性(ポッパー);物象化──「主題」の多義性──そは誰のために──全体の理念──知的形象の社会的意味;二重性──社会学における教義史の意味;古びた釈明──教義史的事例:コント、スペンサー、タルド──未解決

第十二講義
もう一つの原則による社会学の限定;分業の必然性──社会学固有の方法──経験的社会研究の技術──社会学への「社会学たらざる」要請の批判:社会学は「学科」ではない──社会学の問題領域を制限する困難さ──マックス・ウェーバーによる社会学の規定;「社会的行為」の概念──社会的行為の意味:社会的「意味」

第十三講義
全体に関わる分業の反映──社会的反映の自明性の危険──あらゆる問題領域は自らを連れだす;社会の現実的統一──社会的要因と個々の問題領域内での意味連関:心理分析のモデル──「生活の必要」の概念;「古代的イメージ」の範囲──集合無意識についてのユング理論の概説──フロイトによる個々人の弁証法的分析──自我とエス──超自我──フロイトによる個別なものと一般者との弁証法──個人と社会;デュルケイムの「自殺」の理論について

第十四講義
フリッツ・バウアーの死について──ヴィーコに対するエルネスト・グラッシの講演──「純」社会学の応用統計学への退化──マックス・ウェーバーによる理念型と歴史的素材──概念の自立に抗して──マックス・ウェーバーは「案内人ではない」;マックス・ウエーバーの支配の社会学──理念型の「史的自由」な構造:カリスマ支配のモデル──学問の「純粋」のいかがわしい理念;もう一つの原理に対する接触不安──「科学性」のフェティシズムと前科学的経験;純粋科学の限定された経験

第十五講義
講義のこれから──学問の物神化;社会学の支配要求の動機;プラトンによる哲学者王の概念;マンハイムの「揺れ動く知識人」の観念──教義史における意図と社会的意味;コントとスペンサー──今日の社会学の支配要求:社会状況の管理;メイヨー学説──市民社会の仮象的合理性という合理──非合理小集団の文化事業;「牛−社会学」──社会の管理型としての社会学;社会学的理念の技術化について──批判の役割

第十六講義
社会学における主観と客観──「行政研究」と全体的支配の理念──社会学と社会哲学の分断?──抽象的科学的分業のイデオロギー機能──社会学と国民経済学の分断について;政治経済学要請の根拠──個々の存在理由の抽象作用──学問の自己反省、マルクスによる政治経済学の概念──肯定──歴史との関係

第十七講義
歴史の構成的意味;現象のなかで蓄積された歴史;意味の次元──公衆と歴史──個々の現在についての事実の絶対視──一時的なものと具体的なものの一致;反歴史的社会学の盲目牲──認識の歴史的相対性:マルクスの「フォイエルバッハ・テーゼ」──もう一つの事例:デュルケイムとマックス・ウェーバー;精神史の危険性;マルクス主義社会学の心理学批判;主体的要因の役割について;文化産業──アカデミックな要件における一つの言葉